内容正文:
(一)
最近では日本でも、医者は患者と家族に対して、詳しい病状と可能な治療法( 61 )
きちんと説明した後、どの方法で治療に取り組むかを、合意の上で決定( 62 )ように
なってきた。( 63 )、患者が治る見込みのない末期ガンなどの場合、患者本人にありの
ままの病状をに知らせるかどうか( 64 )と、これは病院の方針、担当医師の性格や考
え方、家族の希望など( 65 )まちまちの対応がとられているのが実状である。最近新
聞社が行った世論調査でも、この点では複雑で微妙な回答が示されており、医者が態度を
決めかねるのも当然だと( 66 )。
調査( 67 )、「もし、自分が末期ガンで、残る命が限られている場合、そのことをは
っきり知らせてほしいか」という問いに対して、「そう思う」と答えた人は、「そう思わな
い」と答えた人のほぼ 2 倍弱に上った。( 68 )「自分の家族がそうなった場合、( 69 )
ことを本人に知らせると思うか」という問いに対しては、前問で「そう思う」と答えた人
の割合をはるかに上回る割合の人が否と答えたのである。この矛盾をどう見るか。なぜ知
ることより知らせることを避けようとするのか。これは、果たして思いやりなのか責任回
避なのか、愛の強さなのか弱さなのか。そして家族のこの心理と、担当医師の心理とはど
のような関連があるのか。いずれに( 70 )、現在の日本では、末期ガンの告知には大き
な課題が残されていることは確かなようだ。
61.A にして B によって C について D にとって
62.A した B する C していた D している
63.A だから B そして C それより D とはいえ
64.A をする B となる C にする D とする
65.A によって B にしたがって C にかんして D について
66.A 思わせる B 思われる C 思わされる D 思う
67.A とは B には C へは D では
68.A それとも B ともあれ C ところが D それでも
69.A その B この C あの D どの
70.A すると B しても C したら D すれば
61、C 62、B 63、D 64、B 65、A
66、C 67、D 68、C 69、A 70、B
(二)
この悠々たる人生の行路で青春( 61 )はいったいなんであろうか。これもまたぼく
らにとって常に古くかつ新しい疑問なのではなかろうか。
「若い時は二度とない。」これはよく人々が青年に( 62 )言う言葉である。二十歳を
日语试卷一 A 第 8 页 共 9 页越した青年でこれを親なり目上の人からなり聞かされたことのない人はいないであろう。
しかし、この言葉の意味を本当に考えてみた人は、おそらく( 63 )多くはないのでは
なかろうか。「若い時は二度とない。」だから( 64 )よとか、好きなことをして遊べと
か、この言葉の解釈は様々につくであろう。
( 65 )この平凡なことわざがあまねく人口に膾炙しているのは決して単にそれがめ
いめいに勝手な解釈を許すからではなく、( 66 )それがどのような解釈をしても貧乏揺
るぎもせぬある厳しい事実の端的な表現だからではなかろうか。( 67 )どんなに精出し
て励もうと、または故意にのらくらして過ごそうと、ぼくらの若い時代というものはただ
一度( 68 )ない。二度とそれを取り返すことは誰にも絶対に不可能だ。この誰も疑い得
ぬ、だが誰しも忘れがちな人生の真実をこの言葉はぼくらの胸に訴えるのではなかろうか。
また更に考えて( 69 )、二度とないのは決してぼくらの青春だけではない。ぼくらの一
生もまた疑いもなく二度と生きられぬものである。子供の時代も老年の時代も一度過ぎ去
れば、ぼくら( 70 )再び生きられない。これもぼくらが普段は忘れがちな大きな事実
である。
61.A と B で C へ D の
62.A したがって B つれて C ついて D むかって
63.A それだけ B それほど C そればかり D それより
64.A 勉強でき B 勉強され C 勉強せ D 勉強させ
65.A だが B では C だから D ところで
66.A それで B かえって C わざと D むしろ
67.A それとも B すなわち C ともあれ D それでも
68.A だけ B ばかり C しか D くらい
69.A みれば B みても C みては D みるなら
70.A とは B へは C では D には
61、A 62